【bisen-OBを訪ねて】第6回・高野利秀さん
ご好評をいただいております「OBを訪ねて」シリーズ第6弾は、OB会ブログの題字やバナーイラストを描いてくださった、絵画科1期の高野利秀さんをご紹介いたします。
l 仕事内容
高野さんが代表取締役を務める「株式会社翠彩堂」は、看板業一般=設計、製作、施工を行い、小さいプレートから屋上看板も幅広く手がけていらっしゃいます。
仕事場は作業道具や画材でびっしり!職人の香りが漂っています。
身近なところでは、卒制展会場看板や、美専姉妹校である北海道医薬専門学校の校舎屋上の看板も、翠彩堂が手がけたそうです。
その他、文字筆耕(挨拶状や賞状、弔辞祝辞など)
なんとちょうちんの筆耕では道内でただのお一人!!ちょうちんに文字を書くのは特殊なノウハウがあるそうです
36年のキャリアと実績
l 卒業後の経歴
子どもの頃から絵では「親が描いたのでは?」と疑惑を持たれるくらいの神童。
当然、賞も何度もゲット
在学中も武蔵女子短大でデッサンを教えたり、幼稚園で児童画指導のアルバイトをしていたという程の腕前。
卒業後も就職せずに学校に残ってデッサンを続ける。
他にアルバイトをしながら、校舎内で日曜デッサン教室を開催すること1年。
東京に出て、2年間アルバイトをしながらデッサンを学んでから~
奥様に出会い、結婚を機に札幌に戻って、初めの1年は売り絵の行商。(10号以下の小さなキャンパスを並べて一気に描き上げたそうです!)
そして、1年ごとに印刷屋でレタッチを学び→日本観光で地図作りに携わり、筆字を→北石工業(芸森など環境開発)でパースをと、給料も倍々にしながら経験を積み重ねて~1975年に株式会社翠彩堂を立ち上げる
若かりし頃の高野さん。
l 仕事で大切にしていること
金額の大小にかかわらず、注文を受けたら全力投球!
筆字を何枚も書いて、自分が納得した1枚を納める。
時には、制作にかける時間が一緒になってしまうことも…
しかし、そうすることで結果的にお客さんも満足してくれるのです。
l 今後のVision
PCの普及により、看板業も印刷業も下降
さらにバブルもはじけて仕事量減少
そこで、15年前から新たなフォント製作を目指し、現在まで20書体が完成。
実際に作品を見せていただきました。 一言で筆文字といっても、草書体、楷書体といった基本書体から、オリジナルフォントなど種類も様々。
なんと、JIS第三水準まで対応しているので、1書体につき、実に9000字というから驚きです。
総制作にして、9000字X20書体=180、000字のボリュームは圧巻です
現在、その中から賞状用楷書体がMAXに採用
「だいたいの書体は網羅しているので、創作文字や勘亭流(相撲字)などを完成させ、これまで製作した書体をフォント化にして売り出していきたい
」
l 学生、後輩に向けてのメッセージ
まずは、目の前にある仕事を一生懸命やる。
自分の力を信じて、目標を持ち続けてやり通すこと。
会社独立は簡単だが、そこからが大事。
他力本願ではなく自分で努力を重ねていれば、チャンスは必ずやってくる。あなたもチャンスをつかんで
「人生でチャンスは3~4回あるといわれるが~自分の場合、2回あった。」
最初のチャンスは、花屋に務めていた学生時代の友人から、婚礼、葬儀、贈答用の文字書きを頼まれ、字のうまさを買われて引き受けることに。
練習を重ねていくものの、当時の花屋の文字書きは札幌では1人だけという隙間産業。しかし、その1人だけだった方が急死した後、全ての花屋が翠彩堂に殺到。
これまで1件だった取引先が50件以上になる。
常に依頼者が外に並んで順番を待っているため、トイレに行く暇もなく、ほとんど寝ないで毎日200~300枚こなす
時はいわゆるバブル突入期
次第に手が回らなくなり、毎年一人ずつ人を増やし、MAX15名の従業員を抱えるほどに成長。
2つ目のチャンスは、開発局の知り合いから「大変だけどやる気があるなら」と、建築パース制作に誘われたこと。
最初は一連の流れなど覚えなければいけないことが多く、本当に大変だったが、覚えてしまえば後は楽になった。
バブルははじけ、会社は解散
これを期に振り出しに戻って、家族と一緒に今の仕事を続けている。今でも年中無休で36年
気を付けなければいけないことは、
うまい話にはのるな!ブローカーに注意!
l 座右の銘
普段仕事で使用されている筆と墨汁でしたためてくださいました。
「信念が実を結ぶ」
さすが達筆!
雅号「翠舟」として、書の国際展に出展したりもしていらっしゃいます
・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆
会社所在地
株式会社翠彩堂
札幌市中央区南7条西8丁目
取材記事 菅原25期 
構成・写真 齊藤33期
l 仕事内容
高野さんが代表取締役を務める「株式会社翠彩堂」は、看板業一般=設計、製作、施工を行い、小さいプレートから屋上看板も幅広く手がけていらっしゃいます。
仕事場は作業道具や画材でびっしり!職人の香りが漂っています。
身近なところでは、卒制展会場看板や、美専姉妹校である北海道医薬専門学校の校舎屋上の看板も、翠彩堂が手がけたそうです。
その他、文字筆耕(挨拶状や賞状、弔辞祝辞など)
なんとちょうちんの筆耕では道内でただのお一人!!ちょうちんに文字を書くのは特殊なノウハウがあるそうです

36年のキャリアと実績

l 卒業後の経歴
子どもの頃から絵では「親が描いたのでは?」と疑惑を持たれるくらいの神童。
当然、賞も何度もゲット

在学中も武蔵女子短大でデッサンを教えたり、幼稚園で児童画指導のアルバイトをしていたという程の腕前。
卒業後も就職せずに学校に残ってデッサンを続ける。
他にアルバイトをしながら、校舎内で日曜デッサン教室を開催すること1年。
東京に出て、2年間アルバイトをしながらデッサンを学んでから~
奥様に出会い、結婚を機に札幌に戻って、初めの1年は売り絵の行商。(10号以下の小さなキャンパスを並べて一気に描き上げたそうです!)
そして、1年ごとに印刷屋でレタッチを学び→日本観光で地図作りに携わり、筆字を→北石工業(芸森など環境開発)でパースをと、給料も倍々にしながら経験を積み重ねて~1975年に株式会社翠彩堂を立ち上げる

若かりし頃の高野さん。
l 仕事で大切にしていること
金額の大小にかかわらず、注文を受けたら全力投球!
筆字を何枚も書いて、自分が納得した1枚を納める。
時には、制作にかける時間が一緒になってしまうことも…
しかし、そうすることで結果的にお客さんも満足してくれるのです。
l 今後のVision
PCの普及により、看板業も印刷業も下降

さらにバブルもはじけて仕事量減少

そこで、15年前から新たなフォント製作を目指し、現在まで20書体が完成。
実際に作品を見せていただきました。 一言で筆文字といっても、草書体、楷書体といった基本書体から、オリジナルフォントなど種類も様々。
なんと、JIS第三水準まで対応しているので、1書体につき、実に9000字というから驚きです。
総制作にして、9000字X20書体=180、000字のボリュームは圧巻です

現在、その中から賞状用楷書体がMAXに採用

「だいたいの書体は網羅しているので、創作文字や勘亭流(相撲字)などを完成させ、これまで製作した書体をフォント化にして売り出していきたい

l 学生、後輩に向けてのメッセージ
まずは、目の前にある仕事を一生懸命やる。
自分の力を信じて、目標を持ち続けてやり通すこと。
会社独立は簡単だが、そこからが大事。
他力本願ではなく自分で努力を重ねていれば、チャンスは必ずやってくる。あなたもチャンスをつかんで

「人生でチャンスは3~4回あるといわれるが~自分の場合、2回あった。」
最初のチャンスは、花屋に務めていた学生時代の友人から、婚礼、葬儀、贈答用の文字書きを頼まれ、字のうまさを買われて引き受けることに。
練習を重ねていくものの、当時の花屋の文字書きは札幌では1人だけという隙間産業。しかし、その1人だけだった方が急死した後、全ての花屋が翠彩堂に殺到。
これまで1件だった取引先が50件以上になる。
常に依頼者が外に並んで順番を待っているため、トイレに行く暇もなく、ほとんど寝ないで毎日200~300枚こなす

時はいわゆるバブル突入期

2つ目のチャンスは、開発局の知り合いから「大変だけどやる気があるなら」と、建築パース制作に誘われたこと。
最初は一連の流れなど覚えなければいけないことが多く、本当に大変だったが、覚えてしまえば後は楽になった。
バブルははじけ、会社は解散

これを期に振り出しに戻って、家族と一緒に今の仕事を続けている。今でも年中無休で36年

気を付けなければいけないことは、
うまい話にはのるな!ブローカーに注意!
l 座右の銘
普段仕事で使用されている筆と墨汁でしたためてくださいました。
「信念が実を結ぶ」
さすが達筆!
雅号「翠舟」として、書の国際展に出展したりもしていらっしゃいます

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会社所在地
株式会社翠彩堂
札幌市中央区南7条西8丁目


