【bisen-OBを訪ねて】第13回・坂川栄治さん
おかげさまで、シリーズ「OBを訪ねて」は今月で掲載開始から1年を迎えました。
記念すべき2巡目、第13回は先日のブログでも講演会の報告をさせていただきました、7期卒業で装丁家としてご活躍されている坂川栄治さんを紹介します。
記念すべき2巡目、第13回は先日のブログでも講演会の報告をさせていただきました、7期卒業で装丁家としてご活躍されている坂川栄治さんを紹介します。
この度はお忙しい時間の中、小樽での講演会に突然の取材申込みであったにもかかわらず、快く応じてくださいました。
坂川さんは1952年生まれ、北海道は遠別町のご出身。現在は東京で「坂川事務所」を営まれています。
l 仕事内容
装丁家、文章家、写真家、アート・ディレクター。
手がけた装丁本は3,300冊におよび、広告・PR誌・CD・映画・空間デザインのディレクションなども。
また、BSフジ「絶景温泉」(月曜22:00)出演中の番組では毎月、女子大生と一緒に各地の絶景温泉を巡って、絶景の湯と美味しい料理を紹介しています。
著書に「遠別少年」「本の顔」など。
(講演会しおりよりプロフィール抜粋)
l 卒業後の経歴
bisen(当時は北美)入学前には、印刷会社に就職し、写植(ガラスの板に挟んだ文字盤を写真の原理で印画紙に焼き付け、現像し、印刷物の版下を作るシステム)を経験。そこで1年分の学費と生活費を貯め、bisenに入学。母親も働いて、学費の不足分を仕送りしてくれた。
卒業時は就職難。折角入った広告代理店を3年で辞め、版画家を目指した。
小樽からヒッチハイクで各地を旅しながら、東京に。
札幌で知り合った友人と一緒に、彼の母親が経営していた渋谷のクラブを利用して、昼間に喫茶店を開く。
昼夜営業になった店は、やがて繁盛店に。
しかし、その母親が多額の借金を背負ってしまい、店を売って親子で姿を消してしまった。その時、版画修行の為に貯めていたお金まで持ち逃げされてしまった。
28歳でそこから心機一転。広告代理店時代の縁を生かして、再び東京でデザイン業の世界に。
一度、東急百貨店の宣伝部にデザイナーとして呼ばれて札幌に戻ったが、離れてみてはじめて、自分が出版の仕事が好きなことがわかり、1年で東京に引き返す。
勤めた会社で雑誌「SWITCH」と出会う。創刊から4年間アート・ディレクターをする。雑誌をやめたあたりから装丁の仕事が舞い込みはじめた。35才の時だった。
はじめは年間10冊だったものが、2年後には100冊になり、170冊、そして300冊となる。
自分が営業せずとも、装丁した作品が書店に並ぶことで、必然的に営業活動になったようだ。
装丁の仕事の進め方は、装丁依頼をされた本(ゲラ)は読まず、担当者から話を引き出しながら、1時間ほどの打ち合わせをする。本を読まないことで出版側との距離感を保ち、デザインとしての客観性を保つ。
JAL機内誌にイラスト付きのコラムを連載していたところ、それを機内で見たフジテレビの方から、女子大生と巡る「絶景温泉」への出演を依頼され、現在出演中(BSフジ月曜22:00~)。
特徴をつけるために帽子をかぶり、コメントの最後に「フムフム」と締めくくったところから、「フムフムおじさん」というキャラクターが生まれた。
l 仕事で大切にしていること
普通に「誠意」
・・というと面白くないけど、「誠意」。
結局、基本的に真面目なんですよ。仕事相手から話を引き出すときも、こちらの真面目さを認めてくれて、そこで初めて相手は腹を割ってくれるわけで。だから人と接する時は「誠意」みたいなものが1番大事かもしれない。
「誠意大将軍」(笑)
l 今後のVision
「いかに、どう終えるか。」
引退しようとする時に、事務所に残っている3,000冊以上の本をどうしたらいいかと思っちゃう。最近。
故郷の遠別町や近くの高校の図書館に贈ってはいるんだけど、まだまだ残っている。
ここまでは物質的な話。精神的な話だと、これからは若い時にはできない、歳を重ねたなりの「何か」ができるんじゃないかと思っている。
「変なおじさん」とか、「不思議なおじさん」になりたい。自分で言っちゃダメなんだけどね。これは最後に周りから言われるべきことなんだけど。
そのために今までやってきたこととは違う「何か」やることになるんだろうな、って気がする。それを今、考えている。
「あの人」って一言で言えない人になりたい。
l 学生、後輩に向けてのメッセージ
自分も東京に行ったときに「北海道の田舎者だから」みたいなマイナス意識があったけど、今はもうデジタルの時代。
東京の事務所から札幌にいるイラストレーターにイラストの発注をするし、都心も地方も関係ない。
海外も視野に入れていい。評価されたらネットでも発注は来る。
それを肝に命じた上で、自分をどう磨くか、自分の中に何が眠っているのか等、もっと自分中心の追求をしてもいいのかな、という気がする。
情報はたくさんあるから、最終的に他の人にはできない「自分流」を作ることが一番大事。
そのためには、うんと経験して、うんと失敗して。それがだんだん自信になり土台となって、ゆっくり固まってくるから。
だいたい35才、遅くても40才までが人生の中で一番固まりやすい時期。
その土台が固まった時を大事にして欲しい。
それを信じて、切磋琢磨して欲しい。
l 座右の銘
最後は恒例、直筆のお言葉を頂戴します!
「好奇心」
歳はとっても、これだけは全く老けない。
いくつになっても自分を高めてくれる。自分を新鮮にしてくれる。クリエイティブと好奇心はイコールです。
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~ようやく出版できた装丁の本。
帯には、お笑いコンビ・ピースの又吉直樹さんからのコメント。(NHK脳内ドキュメンタリー「考える人」(2012年放送)出演の時のご縁で書いてくださったそうです。)
番組同様、坂川氏がどのようにして表紙をデザインしていくかの過程がわかります。これまで歩んだ道のりなど、講演会でお話されていた内容も詳しく書かれています。
なんと、我が母校・bisenが校名入りで出ています!必見!
(OB会で購入した本書に、坂川さんから「後輩へ」とサインをいただきました!「OB作品展」にて展示したいと思います。)
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~北海道北端の街で少年時代を綴った短編集。
子どもの頃は、物静かで、雲をぼーっと眺めて考え事をするのが好きな、好奇心が強い子だったそうです。入試問題や塾テキスト等49社に使われた話題の一冊。
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所在地
株式会社 坂川事務所
東京都港区南麻布5-3-13
HP→ http://www.skgw.jp/
取材記事 菅原25期
写真
構成 齊藤33期
坂川さんは1952年生まれ、北海道は遠別町のご出身。現在は東京で「坂川事務所」を営まれています。
l 仕事内容
装丁家、文章家、写真家、アート・ディレクター。
手がけた装丁本は3,300冊におよび、広告・PR誌・CD・映画・空間デザインのディレクションなども。
また、BSフジ「絶景温泉」(月曜22:00)出演中の番組では毎月、女子大生と一緒に各地の絶景温泉を巡って、絶景の湯と美味しい料理を紹介しています。
著書に「遠別少年」「本の顔」など。
(講演会しおりよりプロフィール抜粋)
l 卒業後の経歴
bisen(当時は北美)入学前には、印刷会社に就職し、写植(ガラスの板に挟んだ文字盤を写真の原理で印画紙に焼き付け、現像し、印刷物の版下を作るシステム)を経験。そこで1年分の学費と生活費を貯め、bisenに入学。母親も働いて、学費の不足分を仕送りしてくれた。
卒業時は就職難。折角入った広告代理店を3年で辞め、版画家を目指した。
小樽からヒッチハイクで各地を旅しながら、東京に。
札幌で知り合った友人と一緒に、彼の母親が経営していた渋谷のクラブを利用して、昼間に喫茶店を開く。
昼夜営業になった店は、やがて繁盛店に。
しかし、その母親が多額の借金を背負ってしまい、店を売って親子で姿を消してしまった。その時、版画修行の為に貯めていたお金まで持ち逃げされてしまった。
28歳でそこから心機一転。広告代理店時代の縁を生かして、再び東京でデザイン業の世界に。
一度、東急百貨店の宣伝部にデザイナーとして呼ばれて札幌に戻ったが、離れてみてはじめて、自分が出版の仕事が好きなことがわかり、1年で東京に引き返す。
勤めた会社で雑誌「SWITCH」と出会う。創刊から4年間アート・ディレクターをする。雑誌をやめたあたりから装丁の仕事が舞い込みはじめた。35才の時だった。
はじめは年間10冊だったものが、2年後には100冊になり、170冊、そして300冊となる。
自分が営業せずとも、装丁した作品が書店に並ぶことで、必然的に営業活動になったようだ。
装丁の仕事の進め方は、装丁依頼をされた本(ゲラ)は読まず、担当者から話を引き出しながら、1時間ほどの打ち合わせをする。本を読まないことで出版側との距離感を保ち、デザインとしての客観性を保つ。
JAL機内誌にイラスト付きのコラムを連載していたところ、それを機内で見たフジテレビの方から、女子大生と巡る「絶景温泉」への出演を依頼され、現在出演中(BSフジ月曜22:00~)。
特徴をつけるために帽子をかぶり、コメントの最後に「フムフム」と締めくくったところから、「フムフムおじさん」というキャラクターが生まれた。
l 仕事で大切にしていること
普通に「誠意」
・・というと面白くないけど、「誠意」。
結局、基本的に真面目なんですよ。仕事相手から話を引き出すときも、こちらの真面目さを認めてくれて、そこで初めて相手は腹を割ってくれるわけで。だから人と接する時は「誠意」みたいなものが1番大事かもしれない。
「誠意大将軍」(笑)
l 今後のVision
「いかに、どう終えるか。」
引退しようとする時に、事務所に残っている3,000冊以上の本をどうしたらいいかと思っちゃう。最近。
故郷の遠別町や近くの高校の図書館に贈ってはいるんだけど、まだまだ残っている。
ここまでは物質的な話。精神的な話だと、これからは若い時にはできない、歳を重ねたなりの「何か」ができるんじゃないかと思っている。
「変なおじさん」とか、「不思議なおじさん」になりたい。自分で言っちゃダメなんだけどね。これは最後に周りから言われるべきことなんだけど。
そのために今までやってきたこととは違う「何か」やることになるんだろうな、って気がする。それを今、考えている。
「あの人」って一言で言えない人になりたい。
l 学生、後輩に向けてのメッセージ
自分も東京に行ったときに「北海道の田舎者だから」みたいなマイナス意識があったけど、今はもうデジタルの時代。
東京の事務所から札幌にいるイラストレーターにイラストの発注をするし、都心も地方も関係ない。
海外も視野に入れていい。評価されたらネットでも発注は来る。
それを肝に命じた上で、自分をどう磨くか、自分の中に何が眠っているのか等、もっと自分中心の追求をしてもいいのかな、という気がする。
情報はたくさんあるから、最終的に他の人にはできない「自分流」を作ることが一番大事。
そのためには、うんと経験して、うんと失敗して。それがだんだん自信になり土台となって、ゆっくり固まってくるから。
だいたい35才、遅くても40才までが人生の中で一番固まりやすい時期。
その土台が固まった時を大事にして欲しい。
それを信じて、切磋琢磨して欲しい。
l 座右の銘
最後は恒例、直筆のお言葉を頂戴します!
「好奇心」
歳はとっても、これだけは全く老けない。
いくつになっても自分を高めてくれる。自分を新鮮にしてくれる。クリエイティブと好奇心はイコールです。
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*著書についてのご紹介*
「本の顔 本をつくるときに装丁家が考えること」(芸術新聞社刊) 定価1890円
~ようやく出版できた装丁の本。
帯には、お笑いコンビ・ピースの又吉直樹さんからのコメント。(NHK脳内ドキュメンタリー「考える人」(2012年放送)出演の時のご縁で書いてくださったそうです。)
番組同様、坂川氏がどのようにして表紙をデザインしていくかの過程がわかります。これまで歩んだ道のりなど、講演会でお話されていた内容も詳しく書かれています。
なんと、我が母校・bisenが校名入りで出ています!必見!
(OB会で購入した本書に、坂川さんから「後輩へ」とサインをいただきました!「OB作品展」にて展示したいと思います。)
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「遠別少年 13のストーリーズ」(光文社文庫刊) 定価476円
~北海道北端の街で少年時代を綴った短編集。
子どもの頃は、物静かで、雲をぼーっと眺めて考え事をするのが好きな、好奇心が強い子だったそうです。入試問題や塾テキスト等49社に使われた話題の一冊。
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株式会社 坂川事務所
東京都港区南麻布5-3-13
HP→ http://www.skgw.jp/


