【bisen-OBを訪ねて】第18回・小林俊哉さん
OBを訪ねて・第18回は、世界で活躍されていらっしゃるアーティストであり、産業デザイン学科で13期卒業の小林俊哉さんを紹介いたします。
先日のブログ記事で紹介したbisenでの教職員研修の講演会の内容から、お言葉を拾わせていただきました。
l 仕事内容
アーティスト。ヨーロッパ各地および東京などで個展やグループ展を開催。
病院、ホテルなどのアートプロジェクトにも携わり、ほか、アートフェア多数参加。
近年、北海道では2012年に『天使病院アートプロジェクト』に参加。診察室の扉や壁面に高山植物の絵や、壁面に観葉植物を植栽し、森の中をイメージした癒しの空間を実現。
2009年、2010年はアルテピアッツァ美唄で個展。
2013年11月23日~24日、クロスホテル札幌でのアートフェアにも参加。
今年も5月31日まで、クロスホテル札幌で個展開催中。
現在、クロスホテル札幌(札幌市中央区北2西2)で開催されている小林さんの個展「To regain the irreparable.(取り返しのつかないものを取り戻すために)」の様子です。
l 卒業後の経歴
bisenには着物のデザインを勉強するために入学。ご両親に内緒で受けた「株式会社たち吉(京都)」の洋食器のデザイン部門に採用。入社後、社内の大幅な変革に巻き込まれ、面識のあったファッションブランド「コムデギャルソン」の創始者・川久保玲さんに相談を持ちかけた。
小林さんはbisen生時分に、パルコでみかけたコムデギャルソンのショップデザインに興味を持ち、会社にアポなし電話の末、川久保さんと直接お会いできたという経緯がある。その時、小林さんの作品ファイルを見た川久保さんから「その感覚で服を作ってみない?」と一言お誘いをいただいた。
(当時は学生だったため、入社はせず「困ったときは相談して」ということで、その場を後にした。)
そして、この相談の時も一言。「うちに来れば?」
こんな簡単でいいの?と思うほど、翌年にすんなりと転職。販売部門を経て、デザイン部門と販売部門との調整役をする部署で働く。
しかし、会社には内緒で銀座などでの展覧会を繰り返し、川久保さんから「“仕事”か“作品”か、どちらか選ぶように」と言われ、作品制作に専念することを決意。退社。
「それでも、川久保さんから“今度は対等な立場でお話しましょう”とおっしゃっていただき、本当に懐の深い方だと感じました。 」
川久保さんの友人つながりで、株式会社キチン代表の小池一子さん(「西武百貨店」「無印良品」を企画)とのご縁もあり、小池さんが運営する現代美術のギャラリー「佐賀町エキジビットスペース」に勤務。紅一点ならぬ、黒一点の職場環境ではあったが、ギャラリーが職場という環境下で、海外の作家やギャラリー関係者と多くのパイプラインを築く。
そして、1988年。本格的にアーティスト活動を志し、渡米を決断する。
「なぜアメリカか?というと、当時の日本はバブルの絶頂期だったので、一番行きやすかったんですよ。渡米期間は3ヶ月と設定。とりあえずリュックサックを背負って飛び出しました。いろんな美術館やギャラリーを巡り、制作活動を続けていくうちに、結局4年間も滞在していました。」
アメリカ生活最後の1年間は北海道の会社からアトリエ代としての奨学金をいただきながら、アート活動を続けた。
1992年に東京での個展準備のために一時帰国。開催後も次々オファーをいただき、アメリカには戻れなくなった。
その後も、自分に合いそうなギャラリーで見せて回った。
「ヨーロッパでは有名も無名も関係なく、きちんと作品を見てくれるんです。」
そして、オランダで個展を開催。
2005~06年には、友人達がお膳立てをしてくれた文化庁の制度を利用して、ドイツ・ハンブルグ市に滞在し、制作および発表。 2007年「パブリックスペースにアートを」という40年続くプロジェクトで、ハンブルグ文化庁より『ハーゲンベックス動物園駅アートプロジェクト』に選出され、作品が永久設置に。
道産子画家として、北海道新聞にも記事が載りました。
2012年にはスイス・オリックス財団の招待によりルツェルン市に滞在、制作。
現在は東京を拠点にドイツ・スイス・アブダビなどで個展開催など活動を続けている。
l 仕事で大切にしていること
「嘘をつかないこと」
「作品は“自分自身を表わすもの”だと思っています。作品をつくる人に中には、他作家が表現した作品を真似する人もいますが、そういうことでは決して海外には通用しませんよ。」
「私は勤め人の時間と同じサイクルで制作活動をしています。日々生まれてくる作品の中から、展示会に出展するものを選んでいます。展覧会があるからという理由で制作はしていません。」
l 今後のVision
「常に新しい自分を探しています。」
「2014年は、5月はブレーメン(ドイツ)、6月はバーゼル(スイス)、11月にアブダビ(アラブ首長国連邦)、東京(日本)で展覧会が開催されます。これからもこの調子で活動をしていきたいですが、アーティストというのは、実に競争が激しい世界です。何の保証もない環境で、自分一人で生きていかなければならない。その反面、一人で頑張るだけでは駄目だということもわかっています。とても大変なことですが、新しい自分をさがして、これからもアーティストとして生き延びていきたいです。」
l 学生、後輩に向けてのメッセージ
アーティストの志を持っている人は海外へ、特にヨーロッパへ行ってみた方がいい。その土地の空気を感じてくるだけでも違うから。
海外のアート情報というのは、なかなか日本には届かないことが多いが、北海道から飛び出して、海外で活躍しているアーティストは何人もいる。
海外では、作品だけで食べていける土壌があり、そこが日本と違うところ。
私の知人には、現地のギャラリーを巡っているうちに、定住し、そのまま大きなアートプロジェクトの仕事にめぐり合い、食べていけるようになった人もいる。
l 座右の銘
「座右の銘はないんですよね」とおっしゃる小林さん。
悩みながらも、直筆のお言葉をしたためていただきました!
先程のお話にもあった、「新しい自分をさがして…」というお言葉をいただきました。
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序盤でもお知らせしましたが、2014年の3月21日から5月31日まで、クロスホテル札幌(札幌市中央区北2西2)で小林さんの個展「To regain the irreparable.(取り返しのつかないものを取り戻すために)」が開催中です。
個展タイトルにもなっている東日本大震災や福島の原発事故の被災者に思いをめぐらせて描き始めたシリーズなど新作を中心に約25点。2階ロビーやバーラウンジなど館内に展示されています。
小林俊哉展【取り返しのつかないことを取り戻すために】
会 期■2014年3月22日(土)~2013年5月31日(土)
アクセス■JR「札幌駅」より徒歩5分 市営地下鉄「大通」より徒歩6分
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Toshiya Kobayashi HP→ http://toshiyakobayashi.sakura.ne.jp/
l 仕事内容
アーティスト。ヨーロッパ各地および東京などで個展やグループ展を開催。
病院、ホテルなどのアートプロジェクトにも携わり、ほか、アートフェア多数参加。
近年、北海道では2012年に『天使病院アートプロジェクト』に参加。診察室の扉や壁面に高山植物の絵や、壁面に観葉植物を植栽し、森の中をイメージした癒しの空間を実現。
2009年、2010年はアルテピアッツァ美唄で個展。
2013年11月23日~24日、クロスホテル札幌でのアートフェアにも参加。
今年も5月31日まで、クロスホテル札幌で個展開催中。
現在、クロスホテル札幌(札幌市中央区北2西2)で開催されている小林さんの個展「To regain the irreparable.(取り返しのつかないものを取り戻すために)」の様子です。
l 卒業後の経歴
bisenには着物のデザインを勉強するために入学。ご両親に内緒で受けた「株式会社たち吉(京都)」の洋食器のデザイン部門に採用。入社後、社内の大幅な変革に巻き込まれ、面識のあったファッションブランド「コムデギャルソン」の創始者・川久保玲さんに相談を持ちかけた。
小林さんはbisen生時分に、パルコでみかけたコムデギャルソンのショップデザインに興味を持ち、会社にアポなし電話の末、川久保さんと直接お会いできたという経緯がある。その時、小林さんの作品ファイルを見た川久保さんから「その感覚で服を作ってみない?」と一言お誘いをいただいた。
(当時は学生だったため、入社はせず「困ったときは相談して」ということで、その場を後にした。)
そして、この相談の時も一言。「うちに来れば?」
こんな簡単でいいの?と思うほど、翌年にすんなりと転職。販売部門を経て、デザイン部門と販売部門との調整役をする部署で働く。
しかし、会社には内緒で銀座などでの展覧会を繰り返し、川久保さんから「“仕事”か“作品”か、どちらか選ぶように」と言われ、作品制作に専念することを決意。退社。
「それでも、川久保さんから“今度は対等な立場でお話しましょう”とおっしゃっていただき、本当に懐の深い方だと感じました。 」
川久保さんの友人つながりで、株式会社キチン代表の小池一子さん(「西武百貨店」「無印良品」を企画)とのご縁もあり、小池さんが運営する現代美術のギャラリー「佐賀町エキジビットスペース」に勤務。紅一点ならぬ、黒一点の職場環境ではあったが、ギャラリーが職場という環境下で、海外の作家やギャラリー関係者と多くのパイプラインを築く。
そして、1988年。本格的にアーティスト活動を志し、渡米を決断する。
「なぜアメリカか?というと、当時の日本はバブルの絶頂期だったので、一番行きやすかったんですよ。渡米期間は3ヶ月と設定。とりあえずリュックサックを背負って飛び出しました。いろんな美術館やギャラリーを巡り、制作活動を続けていくうちに、結局4年間も滞在していました。」
アメリカ生活最後の1年間は北海道の会社からアトリエ代としての奨学金をいただきながら、アート活動を続けた。
1992年に東京での個展準備のために一時帰国。開催後も次々オファーをいただき、アメリカには戻れなくなった。
その後も、自分に合いそうなギャラリーで見せて回った。
「ヨーロッパでは有名も無名も関係なく、きちんと作品を見てくれるんです。」
そして、オランダで個展を開催。
2005~06年には、友人達がお膳立てをしてくれた文化庁の制度を利用して、ドイツ・ハンブルグ市に滞在し、制作および発表。 2007年「パブリックスペースにアートを」という40年続くプロジェクトで、ハンブルグ文化庁より『ハーゲンベックス動物園駅アートプロジェクト』に選出され、作品が永久設置に。
道産子画家として、北海道新聞にも記事が載りました。
2012年にはスイス・オリックス財団の招待によりルツェルン市に滞在、制作。
現在は東京を拠点にドイツ・スイス・アブダビなどで個展開催など活動を続けている。
l 仕事で大切にしていること
「嘘をつかないこと」
「作品は“自分自身を表わすもの”だと思っています。作品をつくる人に中には、他作家が表現した作品を真似する人もいますが、そういうことでは決して海外には通用しませんよ。」
「私は勤め人の時間と同じサイクルで制作活動をしています。日々生まれてくる作品の中から、展示会に出展するものを選んでいます。展覧会があるからという理由で制作はしていません。」
l 今後のVision
「常に新しい自分を探しています。」
「2014年は、5月はブレーメン(ドイツ)、6月はバーゼル(スイス)、11月にアブダビ(アラブ首長国連邦)、東京(日本)で展覧会が開催されます。これからもこの調子で活動をしていきたいですが、アーティストというのは、実に競争が激しい世界です。何の保証もない環境で、自分一人で生きていかなければならない。その反面、一人で頑張るだけでは駄目だということもわかっています。とても大変なことですが、新しい自分をさがして、これからもアーティストとして生き延びていきたいです。」
l 学生、後輩に向けてのメッセージ
アーティストの志を持っている人は海外へ、特にヨーロッパへ行ってみた方がいい。その土地の空気を感じてくるだけでも違うから。
海外のアート情報というのは、なかなか日本には届かないことが多いが、北海道から飛び出して、海外で活躍しているアーティストは何人もいる。
海外では、作品だけで食べていける土壌があり、そこが日本と違うところ。
私の知人には、現地のギャラリーを巡っているうちに、定住し、そのまま大きなアートプロジェクトの仕事にめぐり合い、食べていけるようになった人もいる。
l 座右の銘
「座右の銘はないんですよね」とおっしゃる小林さん。
悩みながらも、直筆のお言葉をしたためていただきました!
先程のお話にもあった、「新しい自分をさがして…」というお言葉をいただきました。
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※個展のお知らせ
序盤でもお知らせしましたが、2014年の3月21日から5月31日まで、クロスホテル札幌(札幌市中央区北2西2)で小林さんの個展「To regain the irreparable.(取り返しのつかないものを取り戻すために)」が開催中です。
個展タイトルにもなっている東日本大震災や福島の原発事故の被災者に思いをめぐらせて描き始めたシリーズなど新作を中心に約25点。2階ロビーやバーラウンジなど館内に展示されています。
小林俊哉展【取り返しのつかないことを取り戻すために】
会 期■2014年3月22日(土)~2013年5月31日(土)
会 場■クロスホテル札幌 (札幌市中央区北2条西2丁目)1F&2F
営業時間■8:00~22:00(ご宿泊の場合24時間入出庫可)アクセス■JR「札幌駅」より徒歩5分 市営地下鉄「大通」より徒歩6分
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Toshiya Kobayashi HP→ http://toshiyakobayashi.sakura.ne.jp/