【bisen-OBを訪ねて】第9回・金井正治さん
シリーズ「OBを訪ねて」。
第9回は2期の陶芸家・金井正治さんをご紹介いたします。
第9回は2期の陶芸家・金井正治さんをご紹介いたします。
金井さんは、先の総会で会場を提供していただいた方です。
いままでも何度か同窓会の陶芸体験として、主宰されているアトリエ陶にてご指導をいただいています。OB会では身近な存在の方ですが、じっくりお話を聞くのは初めてです。
l 仕事内容
「陶芸家です。他にもいろいろやっていますが、陶芸が主です。」
l 卒業後の経歴
卒業後に企画会社に就職し、ロイヤルホテル等の広告を担当。
その後、叔父の北日本重機に入社。社会保険から求人といった総務全般をこなしつつ、広告として会社の大きな窓ガラスにトラクターやブルドーザーなどの建設機械の絵も描いた。
陶芸を始めたのは在職中の20代後半。当初は趣味として始めたものだった。
陶芸のノウハウは、友人の父親(北海道工業試験場野幌分場の元場長)が定年後に開いた陶芸教室に勝手に押し掛けて覚えていった。後にお礼の気持ちから、夜間教室を手伝いはじめる。
手伝いを続けていくうちに、ろくろを分けてもらったり、窯を紹介してもらったりと、本格的に陶芸に打ち込むようになる。
30代、畑で農業を営んでいた父親が病死。普通はそこで農業はやめてしまうところだが、負けを認めるみたいになるのがイヤで、意地でもやってやろう!と畑作業を引き継ぐ。
ここでいよいよ「畑」と「会社」と「陶芸」の「3足のわらじ」状態に突入する。
5時に畑作業をして、7時半くらいにシャワーを浴びて出社。帰宅して21時くらいまで再び畑作業をして、21時から0時まで陶芸・・という生活を続けた。
44才にして、さすがにハードな生活に身体も持たなくなってきたこともあり、陶芸で独立決意!退職金で現在のアトリエ陶の棟を建立。
会社では役員にもなっており、「極めた・やりきった」感もあっての転身。
なんと年収が1000万!!あったものが、独立翌年は10分の1に激減↓
「これからも苦難の道が待っています!」と、明るく、笑いながら話してくださる金井さん。
現在は「畑」と「レストラン」と「陶芸」の新しい「3足のわらじ」に。
単に、30代の頃の「会社」が「レストラン」に変わっただけということではなく、
「畑」から生まれた『食』に、「陶芸」から生まれた『器』を使うという想いからの『レストラン』。
『レストラン』=形を変えたギャラリーというイメージ。
金井さんが追求した「生産から消費にいたるまで、全てを自分の手で」という究極の理想が、現在の形になっている。
l 仕事で大切にしていること
とにかく、普通に。
人を裏切らない。困っている人がいたら助けたいと思う。美味しい物を食べる。とか…
それは、当たり前のこと。決して大げさなことではない。
なるべく当たり前のことをやりたいと思う。でも、その普通が大変。裏側では…楽をしてはできないものがある。(だから、金井さんと接するとなんだかリラックスできるんですね~)
l 今後のVision
「始まったばかりのレストランをいかに順調にしていくか?ですね。
食祭で提供する料理は、化学調味料は一切使わず、杉樽の醤油や、野菜をくたくたに煮た「ベジブロ」というベースを使用するなど、すごく気を遣っています。このことを多くの方々に知っていただきたい。
まだまだわかってもらえていないのが現状ですが、最近では、少しずつわかってきてもらえているのかな?という実感はあります。
その例に、近隣の幼稚園から「使っている食材が良いから」ということで給食の依頼を受け、料理の提供を始めました。その後、先生からの報告で、それまで給食を食べられなかった園児が「せんせい、食べられるようになったよ!」と喜んでいたという話を聞いて、私も嬉しくなりました。 」
l 学生、後輩に向けてのメッセージ
『魔法の手』を持って欲しい。
恵庭の専門学校に陶芸家として行ったとき、「まるで魔法の手だ!」と言われたが、
陶芸に限らず、医者でも教師でも農家でも皆、『魔法の手』を持っていると思う。
だからみなさんにも、何でもいいから、中途半端ではない、『魔法の手』を持って欲しい。
もうひとつは、「やる」か「やらない」か。
「やる」と決めたら必ず動く。1日1回でも行動。電話1本でもいい。
決める前にあれこれ悩まない。(金井さんが実践してきたことだそうです。)
l 座右の銘
色紙を前に、「座右の銘は無いよ」と困っていた金井さん。
*結局、笑顔のイラストを描いてくださいました。
「みんな元気で」という思いを込めてくださったみたいです*
・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆
所在地
風の村 アトリエ陶/食祭/自然農業体験農園 http://ebetsuart.net/
北海道江別市野幌919
取材記事 菅原25期
写真 橋本33期
構成 齊藤33期
いままでも何度か同窓会の陶芸体験として、主宰されているアトリエ陶にてご指導をいただいています。OB会では身近な存在の方ですが、じっくりお話を聞くのは初めてです。
l 仕事内容
「陶芸家です。他にもいろいろやっていますが、陶芸が主です。」
l 卒業後の経歴
卒業後に企画会社に就職し、ロイヤルホテル等の広告を担当。
その後、叔父の北日本重機に入社。社会保険から求人といった総務全般をこなしつつ、広告として会社の大きな窓ガラスにトラクターやブルドーザーなどの建設機械の絵も描いた。
陶芸を始めたのは在職中の20代後半。当初は趣味として始めたものだった。
陶芸のノウハウは、友人の父親(北海道工業試験場野幌分場の元場長)が定年後に開いた陶芸教室に勝手に押し掛けて覚えていった。後にお礼の気持ちから、夜間教室を手伝いはじめる。
手伝いを続けていくうちに、ろくろを分けてもらったり、窯を紹介してもらったりと、本格的に陶芸に打ち込むようになる。
30代、畑で農業を営んでいた父親が病死。普通はそこで農業はやめてしまうところだが、負けを認めるみたいになるのがイヤで、意地でもやってやろう!と畑作業を引き継ぐ。
ここでいよいよ「畑」と「会社」と「陶芸」の「3足のわらじ」状態に突入する。
5時に畑作業をして、7時半くらいにシャワーを浴びて出社。帰宅して21時くらいまで再び畑作業をして、21時から0時まで陶芸・・という生活を続けた。
44才にして、さすがにハードな生活に身体も持たなくなってきたこともあり、陶芸で独立決意!退職金で現在のアトリエ陶の棟を建立。
会社では役員にもなっており、「極めた・やりきった」感もあっての転身。
なんと年収が1000万!!あったものが、独立翌年は10分の1に激減↓
「これからも苦難の道が待っています!」と、明るく、笑いながら話してくださる金井さん。
現在は「畑」と「レストラン」と「陶芸」の新しい「3足のわらじ」に。
単に、30代の頃の「会社」が「レストラン」に変わっただけということではなく、
「畑」から生まれた『食』に、「陶芸」から生まれた『器』を使うという想いからの『レストラン』。
『レストラン』=形を変えたギャラリーというイメージ。
金井さんが追求した「生産から消費にいたるまで、全てを自分の手で」という究極の理想が、現在の形になっている。
l 仕事で大切にしていること
とにかく、普通に。
人を裏切らない。困っている人がいたら助けたいと思う。美味しい物を食べる。とか…
それは、当たり前のこと。決して大げさなことではない。
なるべく当たり前のことをやりたいと思う。でも、その普通が大変。裏側では…楽をしてはできないものがある。(だから、金井さんと接するとなんだかリラックスできるんですね~)
l 今後のVision
「始まったばかりのレストランをいかに順調にしていくか?ですね。
食祭で提供する料理は、化学調味料は一切使わず、杉樽の醤油や、野菜をくたくたに煮た「ベジブロ」というベースを使用するなど、すごく気を遣っています。このことを多くの方々に知っていただきたい。
まだまだわかってもらえていないのが現状ですが、最近では、少しずつわかってきてもらえているのかな?という実感はあります。
その例に、近隣の幼稚園から「使っている食材が良いから」ということで給食の依頼を受け、料理の提供を始めました。その後、先生からの報告で、それまで給食を食べられなかった園児が「せんせい、食べられるようになったよ!」と喜んでいたという話を聞いて、私も嬉しくなりました。 」
l 学生、後輩に向けてのメッセージ
『魔法の手』を持って欲しい。
恵庭の専門学校に陶芸家として行ったとき、「まるで魔法の手だ!」と言われたが、
陶芸に限らず、医者でも教師でも農家でも皆、『魔法の手』を持っていると思う。
だからみなさんにも、何でもいいから、中途半端ではない、『魔法の手』を持って欲しい。
もうひとつは、「やる」か「やらない」か。
「やる」と決めたら必ず動く。1日1回でも行動。電話1本でもいい。
決める前にあれこれ悩まない。(金井さんが実践してきたことだそうです。)
l 座右の銘
色紙を前に、「座右の銘は無いよ」と困っていた金井さん。
*結局、笑顔のイラストを描いてくださいました。
「みんな元気で」という思いを込めてくださったみたいです*
・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆
所在地
風の村 アトリエ陶/食祭/自然農業体験農園 http://ebetsuart.net/
北海道江別市野幌919


